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日本国内にある謎の廃駅5選【関東が多い!?オススメは!?】

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今回はかつて何万人の人に使われていた駅が、やがて時代の変化と共に使われず、廃駅になってしまった駅を5つほど紹介していきたいと思います。

  • ①「現存する半廃墟駅」東成田空港駅
  • ② 3秒だけ見える「幻のホーム」初台駅
  • ③「謎のウサギがいる」博物館動物園駅
  • ④「古代遺跡」のような太子駅
  • ⑤「奥多摩湖」を見渡せた奥多摩湖ロープウェイ

東成田空港駅

どんな廃駅なの?

日本の空の玄関口の1つでもある成田空港。

世界的に見ても清潔な空港で
空港の格付け調査を行なっている「スカイトラックス」が発表した
2021年「世界でも最も清潔な空港」のランキングにおいて成田空港は世界で3位。

清潔な空港の裏側に、半分廃駅に近い駅がある。

成田空港を利用した事がある人は、「成田空港駅」「空港第2ビル駅」を利用するケースが多い。
「東成田空港駅」は、昭和にタイムスリップしたかのような、綺麗な空港とは少し時空がずれたような雰囲気がある駅。

しかも1、2番線ホームからは現在は完全封鎖されている暗闇の中にある旧1番2番線ホームが見ることができる。

ではなぜ廃墟のような駅になってしまったのか?

1978年に開業したこの駅は、成田空港内にある鉄道では1番最初に開業した駅。

その時の名前は「成田空港駅」
やがて駅の位置が第一ターミナルと第二ターミナルの間にあり、駅から第一ターミナルまではなんと500mもありアクセスがよくありませんでした。

やがて1991年に成田空港によりアクセスのしやすい新しい「成田空港駅」ができた事・「空港第2ビル駅」が作られたことによって「旧成田空港駅」は「東成田駅」として改名。
現在でも、空港職員がメインとして使う駅になっていますが
駅の半分は壁が造られかつて奥で営業していた、喫茶店や改札がうっすら見え、不思議な空気を感じることができる。

初台駅

どんな廃駅なの?

東京都渋谷区に未だなお 眠る「旧初台駅」

現在の「初台駅」は1978年に開業し、京王新線にありますが、
実はもう1つ時代の流れとともになくなってしまった「旧初台駅」があったんです。

さらに現在もその旧初台駅をお目にかかることができます
新宿を出発し、電車が地下トンネルを3分ほど走るとそこには「幻のホーム」と呼ばれている「旧初台駅」のホームがわずか3秒ほど見えます。

ではなぜ廃墟のような駅になってしまったのか?

1964年から~1978年の14年間使われていた初台駅は新宿駅から先の、旧線が地下化されたときに使われていたのが「旧初台駅」

多いときには1日平均4万人が乗降する駅でした。
やがて、時代の変化と共に、※複々線化によって
※1本の線路上に混在することで詰まってしまうようなことが少なくなり、列車の大幅な増発が可能になるとのこと、

旧初台駅はホームが短かったこともあり、
10両編成の長い電車が停車できる、新線初台駅に置き換えられ、旧初台駅はその役目を終えました。

今では、旧初台駅への道はコンクリートで完全に塞がれており、立ち入ることはできず
中は資材置き場になっており、旧トンネルの緊急避難跡の通路して使われているそうです。

博物館動物園駅

どんな廃駅なの?

東京 上野公園の一角の地下に眠る博物館動物園駅。

洋館風の作りのこの建物の内部は、未だに当時のきっぷ売り場や、
階段があとを残し、謎のウサギが地面にめり込んでいます。(後ほど説明)

ではなぜ廃墟のような駅になってしまったのか?

1933年開業した博物館動物園駅は、当時は上野動物園や現:東京国立博物館である帝室博物館の最寄駅でした。

さらにこの駅の建設には、「御料地」という特別な土地で 天皇の許可も得ている為ガチガチに会議し、
さらには駅に入ったすぐのところには巨大なシャンデリアを吊り下げられました。

しかし戦争後、この場所は4両編成しか停車ができないというデメリット。

さらに集客を見込んでいた上野動物園の入り口が変わったことにより乗客は減少。
おまけに戦争中に、鉄が必要ということからシャンデリアは撤去され、2004年に駅としての役目を終えました。

駅内部は看板や時刻表も当時のまま残されていて、この駅の象徴となっていた「ペンギンの壁画」も残されておりますが作者は不明。

気になる謎のうさぎの正体


2018年歴史建造物に指定されて以来、時折イベント公開行われており、
2018年に行なわれたアートイベントで使ったオブジェで1Fのホールに飾られていたんですが、行き場がなくなり、電車ホームの階へと穴掘って降りたそうです。

実際に快速上野行きの電車から、一瞬だけこのアナウサギが見れるそうなのでぜひ目を凝らして見てみてください。

太子駅

どんな廃駅なの?

群馬県中之条町(なかのじょうまち)にある古代遺跡のような「旧太子駅」

まるで、コロッセオのような巨大なコンクリート製の遺構が残る建造物
70年以上が経過しているため、いつ崩れてかけてもおかしくないスポット。

ではなぜ廃墟のような駅になってしまったのか?

1945年に開業したこの駅は戦時中、鉄が必要となり、
この地で鉄鉱石を採取し、鉄鉱石がを運び出すための「ホッパー」と呼ばれる貨物専用の列車に乗せ製鉄所のある、川崎へ運んでいました。

戦後は、旅客駅としても営業しておりましたが、人口の減少に伴い、太子駅から~JR長野原草津口駅(ながのはら くさつぐち えき)の間が廃止になり「太子駅」としての役目を終えました。

現在、幻想的な古代遺跡のようだとSNSで話題となり、柵はなくホッパーの中で撮影できそうですが、崩れ落ちてくる危険の為、外から眺めてみましょう。

 

奥多摩湖ロープウェイ

どんな廃駅なの?

廃墟マニアの中では有名。昭和36年10月に、日本ケーブル株式会社が施設した観光用ロープウェイ。

ではなぜ廃墟のような駅になってしまったのか?

この場所は当時世界最大と言われていた、貯水池である奥多摩湖の上を走るロープウェイとして、今から約60年前に開業しました。

全長約622mの長さがあったロープウェイは当時は人気でした。

ロープウェイを乗りながら、綺麗な景色を一望できるということもあり、ピーク時には約10万人がこのロープウェイを利用していました。
しかし、片道1200円という価格設定が引き金となり、わずか4年で閉鎖してしまいました。

このロープウェイの所有者も一切不明ということから、東京都も奥多摩町も手が出せず、放置されています。

このロープウェイの廃駅の1つが「かわの駅」2つ目が「みとうさんぐち駅」
どちらも廃墟となって50年以上経つので、周りは草木が生い茂り、建物内部も当時のままでロープを引っ張っていた機械もそのまんまになっています。

心霊スポットとしても、噂されていることもあり、鏡に映る女性や、首なしライダーの幽霊の霊が出ると噂されているそうです。

まとめ

いかがだったでしょうか?

フランスが行なったように元々あった廃駅をプールにしてしまうなど違う形で明るいスポットが上がるいいですね。
この記事がみなさんの刺激になれば嬉しいです。

次回もお楽しみに。

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